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「名族小国氏発祥の地」の碑

 

小国氏は,清和源氏の流れをくむ源頼行を祖とする一族で,鎌倉時代に越後国・小国保の地頭となり小国氏を称した。以来 鎌倉幕府の有力家臣として活躍。南北朝時代には 南朝方についたが,北朝方に敗れて 本家は没落し, 支流であった天神山城に小国氏が残った。戦国時代には 上杉謙信に仕え,景虎の時代になって 腹心の直江兼続の弟・樋口与七が養子に入って“大国”と改姓, 大国実頼となった。実頼は後に上杉家から追放され,後継者として兼続の弟・樋口秀兼の息子である光頼が家督を 継いだ。

越後おぐに森林公園が広がる この地一帯は,小国氏の居城(小国沢城)があったといわれており, 2003(平成15)年に「名族小国氏発祥の地」の碑が建てられた。(長岡デジタル写真館より)

「小国」とは四方山に囲まれた、かなり広い耕地に恵まれた別天地のようなところ。「おぐに」という言葉の語感もそれにふさわしい。(新潟県地名考 五十嵐秀太郎著より)

小国音頭

 

昭和31年9月30日小国村と上小国村が合併し小国町を新設。平成17年4月1日中之島町、越路町、三島町、山古志村とともに長岡市へ編入合併し、消滅。

小国音頭は昭和32年初代竹部町長が作られたそうです。

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もちひとまつり

 

もちひとまつりは、平成14年に柿花仄(ほのか)著『皇子逃亡伝説』という本がきっかけで始まりました。この皇子とは、平安時代末期の1180年、平清盛らによる平家独裁体制を打倒せよと呼びかけて立ち上がり、奈良の光明山で平家の追っ手の弓矢を受けて非業の死を遂げたとされる後白河天皇第三皇子の以仁王(もちひとおう)のことです。
 平家物語では、以仁王は京都で戦死したと語られていますが、平家の追っ手を逃れて供の者と一緒に苦難の逃避行の末に安住の地にたどり着いたのだという説が伝わっています。いわゆる以仁王逃亡伝説です。そして、以仁王の逃亡先となったのが、「小国」です。
 この逃亡伝説をモチーフに小国に伝わる歴史ロマンに思いを馳せ、先人が築いてきた小国の歴史や文化を振り返り、後世に伝えようというおまつりです。(長岡デジタル写真館より)

越後長岡百景「90 相野原観音堂(小国)」

 

相野原観音堂
 小国相野原には、田園の中にあるお堂として有名な相野原観音堂があります。「田んなかの観音様」の愛称で親しまれているこの観音堂は、江戸時代末期に建てられました。堂内中央にまつられている本尊の馬頭観音座像は、本来、中魚沼郡仙田村岩瀬(現在の十日町市岩瀬)にまつられていましたが、渋海川が氾濫するたびに相野原に流されてくるので、よほどこの土地に縁のある仏様に違いないと人々がお堂を建立し、安置したという言い伝えがあります。昭和初期まで、着飾ったたくさんの農耕馬による無病息災を祈るお祭りが行われており、現在も毎年8月の第一日曜日に開催される「相野原観音堂まつり」としてしのぶことができます。

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小国小学校(旧渋海小学校)

 

昭和61年に中里小学校と小国橋小学校が統合し、渋海小学校となる。渋海小学校から旧小国橋小学校跡地(白い建物)方向を見る(その先に渋海中学校があった)。(2016.3.5撮影)

小国地区の3小学校 上小国小学校、渋海小学校、下小国小学校は2016年4月1日より小国小学校になりました。

山口 庭園

 

小国の豪農・山口家代々の邸宅跡にある、京風回遊式庭園です。三千坪の敷地には四つの資料館があり、帳簿や家具、衣装などがおさめられています。(長岡デジタル写真館より)

十二社権現の御神水と峠不動の滝

 

桐沢集落にそそぐ湧水。農作業で渇いた地域住民ののどを潤し、古くから親しまれてきました。

(長岡デジタル写真館より)

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二宮金次郎(旧武石小学校)の像

 

小学校を卒業したときからある二宮金次郎像です。現在も武石公民館前にあります。(2016.6.12撮影)

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越後長岡百景「8 諏訪清水(小国)」

(越後長岡百歌)

渋海川昔の光呼び醒し春の光は水に射したり
 たそがれに「諏訪の清水」に列なせる人らほほ笑み水を戴く

諏訪清水
 小国上栗集落の諏訪神社は、保延2年8月に江村勢内太夫清光が長野県諏訪神社の分霊を拝戴し、現上栗集落センター付近に奉祀して建立されました。慶安2年7月に現在の地へ移転、諏訪清水はその際参拝者の手水舍として建立されました。一口飲めば寿命が延びる、という言い伝えもある水で、大きく口を開けた獅子の像から流れ出ています。また中越地震では、小国地域はもとより、他地域からも水をくみに訪れる人があとを絶たず、近隣集落の生活用水としての役割を果たしました。

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